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ルカ マケドニア人

1-3 (イ)パウロと仲間たちは,どのように聖霊に導かれましたか。(ロ)これからどんな出来事について考えますか。, 女たちがマケドニアのフィリピ市を出て行きます。間もなくガンギテスという細い川に着きます。いつものように,川岸に座ってイスラエルの神に祈ります。エホバはその様子を見ておられます。―代二 16:9。詩 65:2。, 2 一方,そこから800㌔以上東で,男たちがガラテア南部のルステラ市を出て行きます。数日後,西に延びるローマの街道に着きます。アジア地区で特に人口の多い地域に通じる舗装された道です。男たち ― パウロ,シラス,テモテ ― は,その道を通ってエフェソスなどの都市へ行こうと考えています。その地の大勢の人々もキリストについて聞く必要があります。ところが,その旅を始めもしないうちに,聖霊によって何らかの方法で止められます。アジア地区で宣べ伝えるのを禁じられたのです。なぜでしょうか。イエスは神の霊によってパウロの一行をずっと導き,小アジアを通ってエーゲ海を渡らせ,ガンギテスというあの小川のほとりまで行かせたいと思っているのです。, 3 マケドニアへのこの異例の旅においてイエスがパウロと仲間たちをどのように導いたかを調べると,貴重な教訓を得ることができます。では,西暦49年ごろに始まったパウロの第2回宣教旅行における出来事を見てゆきましょう。, 4,5 (イ)ビチニアの近くでパウロたちに何が起きましたか。(ロ)彼らはどんなことを決めましたか。どんな結果になりましたか。, 4 アジアで宣べ伝えるのを妨げられたパウロと仲間たちは,ビチニアの諸都市で伝道しようと北に向きを変えます。そこへ行くために,フリギアとガラテアの人口のまばらな地域の間を通り,舗装されていない小道を幾日も歩いたかもしれません。しかし,ビチニアに近づくと,イエスは再び聖霊を用いて一行をとどめます。(使徒 16:6,7)パウロたちは困惑したに違いありません。何を宣べ伝えるのか,どのように宣べ伝えるのかは分かっていますが,どこで宣べ伝えるべきかが分からないのです。アジアへ通じる扉をたたきましたが,駄目でした。ビチニアへ通じる扉をたたきましたが,やはり駄目でした。それでもパウロは,開く扉が見つかるまでたたき続ける決意を抱いています。この時に一行が決めた事柄は奇妙に思えたかもしれません。西に向きを変えて550㌔歩き,次から次へと都市を通り過ぎてゆきます。そしてマケドニアへの玄関口であるトロアスの港に着きました。(使徒 16:8)パウロは3番目の扉をたたきます。すると,今度はぱっと開きます。, 5 トロアスでパウロたちに合流した福音書筆者ルカは,起きた事柄をこう記しています。「パウロは夜中に幻を見た。あるマケドニアの人が立って彼に懇願し,『マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください』と言うのであった。そこで,パウロがその幻を見てからすぐ,わたしたちは,彼らに良いたよりを宣明するため神がわたしたちを呼び寄せてくださったのだと結論して,マケドニアへ行こうと努めた」。* (使徒 16:9,10)ついにパウロは,どこで宣べ伝えるべきかが分かりました。途中であきらめなくて本当によかったと感じたに違いありません。4人は早速マケドニアに向けて船出します。, 6,7 (イ)パウロの旅行中に生じた事柄からどんな教訓が学べますか。(ロ)パウロの経験から,どんな確信を持てますか。, 6 この記述からどんな教訓が学べますか。注目できる点として,パウロがアジアに向けて出発した後に初めて神の霊が介入し,パウロがビチニアの近くに行って初めてイエスが介入し,パウロがトロアスに着いて初めてイエスがマケドニアへと導きました。会衆の頭イエスは,今日でもわたしたちに対して同じように行動される場合があります。(コロ 1:18)例えば,ある人たちは,開拓者として奉仕することや王国伝道者の必要が大きな地域へ移動することについて,しばらく考えてきたかもしれません。とはいえ,目標を達成するために実際に行動して初めて,イエスは神の霊を通して導いてくださるでしょう。なぜそう言えますか。例えで考えてみましょう。運転手は,車を右や左に向かわせることができますが,そのためには車が動いていなければなりません。同様にイエスは,わたしたちが宣教を拡大するのを導いてくださいますが,そのためには,わたしたちが動いていなければ,つまり真剣な努力を傾けていなければなりません。, 7 とはいえ,自分の努力がすぐに実を結ばないなら,どうでしょうか。神の霊に導かれていないと考えて,あきらめたほうがよいのでしょうか。そうではありません。パウロも何度か妨げに遭ったことを思い出してください。しかしパウロは,開く扉を探し続け,ついに見つけました。わたしたちも,「活動に通ずる大きな戸口」を粘り強く探すなら同じように報われる,と確信できます。―コリ一 16:9。, 8 (イ)フィリピ市について説明してください。(ロ)パウロが「祈りの場所」で伝道した結果,どんな喜ばしいことが生じましたか。, 8 マケドニア地区に着いたパウロたちはフィリピに向かいます。その都市の住民は,ローマ市民であることを誇りに思っていました。植民市フィリピは,そこに住む退役したローマ兵にとってマケドニアの小ローマ,さながら小さなイタリアのようでした。宣教者たちは,都市の門の外,細い川のそばで,「祈りの場所」があると思われる所を見つけました。* 安息日にそこに出かけて行き,集まって神を崇拝している女たちを見つけます。それで腰を下ろし,話しかけます。ルデアという女性が『聴いていましたが,エホバは彼女の心を大きく開きました』。ルデアは聴いた事柄にたいへん心を動かされ,彼女とその家の者たちはバプテスマを受けます。そして,ルデアはパウロと旅仲間を強いて連れて行き,自分の家に泊めます。* ―使徒 16:13-15。, 9 今日,多くの人がどのようにパウロの手本に倣っていますか。その結果,どんな祝福を得ていますか。, 9 ルデアのバプテスマによってどれほどの喜びが生じたかを想像してみてください。パウロは,『マケドニアへ渡って来てください』という招きを受け入れて本当によかったと感じたことでしょう。そして,神を恐れる女たちの祈りにお答えになるのにエホバが自分たちを用いてくださったことを,大いに喜んだに違いありません。今日でも大勢の兄弟姉妹が,老いも若きも,独身者も既婚者も,王国伝道者の必要が大きな地域に移動しています。困難もありますが,聖書の真理を受け入れるルデアのような人を見つけた時の満足感に比べれば,ささいなことに思えます。あなたも事情を調整し,必要の大きな区域へ『渡って行く』ことができますか。祝福が待ち受けています。中米の国に移動した20代のアーロンの例を取り上げましょう。兄弟は多くの人の気持ちを代弁してこう語っています。「外国での奉仕は,霊的に成長し,エホバにいっそう近づく助けになっています。野外奉仕は最高です。聖書研究を8件司会しています」。, 10 パウロとその仲間にとって事態が変化したことには,悪霊の活動がどのように影響していましたか。, 10 サタンは,自分と悪霊たちが幅を利かせていたその地域で良いたよりが広まり始めたことに激怒したに違いありません。悪霊の活動の影響で,パウロとその仲間にとって事態が変化します。祈りの場所を引き続き訪れていると,悪霊につかれた下女に会います。予言をして自分の主人たちに利益を得させていたその下女は,パウロたちのあとにずっと付いて来て,こうわめきます。「この人たちは至高の神の奴隷で,あなた方に救いの道を広めているのです」。悪霊は下女にそう叫ばせて,下女の予言とパウロの教えが同じ源から出ているように見せかけたのでしょう。そのため,周囲の人々の注意はキリストの真の追随者からそらされたかもしれません。しかし,パウロは悪霊を追い出して下女を黙らせます。―使徒 16:16-18。, 11 下女の主人たちは,自分たちの楽な金儲けの手段がなくなって激しく怒り,パウロとシラスを市の立つ広場の中へ引きずって行きます。そこでは,ローマを代表する役人である行政官たちが裁判を行なっています。主人たちは,裁き人の偏見と愛国心に訴えかけ,『これらのユダヤ人は,我々ローマ人が受け入れることのできない習慣を教えて騒動を引き起こしている』という趣旨のことを言います。その言葉に人々はすぐに反応します。「[市の立つ広場にいる]群衆は彼ら[パウロとシラス]に敵して共に」立ち上がり,行政官たちは彼らを「棒むちで打ちたたくように」と命じます。その後,二人は獄に引いて行かれ,牢番は傷ついた二人を奥の獄に入れて,足かせ台につなぎました。(使徒 16:19-24)牢番が戸を閉めると,監房の中は真っ暗で,二人はお互いの顔さえ見えなかったでしょう。でも,エホバは見ておられました。―詩 139:12。, 12 (イ)キリストの弟子たちは迫害をどう見ましたか。なぜですか。(ロ)サタンとその手先となっている人々は,今でもどのような方法で反対しますか。, 12 イエスは追随者たちに,『彼らはあなた方を迫害するでしょう』と言っておられました。(ヨハ 15:20)ですから,パウロたちはマケドニアへ渡って来た時,反対を覚悟していました。迫害に遭った時,それをエホバの不興のしるしではなく,サタンの怒りの表われと見ました。今日でも,サタンの手先となっている人々は,フィリピで用いられたのと同じような方法を使います。欺瞞的な反対者たちは,学校や職場でわたしたちのことを偽り伝え,反対をあおります。国によっては,宗教上の反対者が裁判でわたしたちを訴えて,『これらのエホバの証人は,我々“伝統ある宗教の信者”が受け入れることのできない習慣を教えて騒動を引き起こしている』という趣旨のことを言います。わたしたちの仲間の崇拝者が打ちたたかれて投獄されている地域もあります。でも,エホバは見ておられます。―ペテ一 3:12。, 13 どんないきさつで,牢番は「救われるためにわたしは何をしなければなりませんか」と尋ねましたか。, 13 騒然とした一日を経験したパウロとシラスは,落ち着くまでに時間がかかったでしょう。とはいえ,真夜中までには幾らか回復し,「祈ったり,歌で神を賛美したりして」いました。すると突然,地震で獄が揺れ動きます。目を覚ました牢番は,戸が開いているのを見て,囚人たちが逃げてしまったと考えました。囚人に逃亡されたら処罰を受けると分かっていたので,「剣を抜いて自害しようとし」ます。しかしパウロが,「自分を傷つけてはいけない。わたしたちは皆ここにいる!」と叫びます。牢番はどうしていいか分からず,「皆様,救われるためにわたしは何をしなければなりませんか」と尋ねます。パウロとシラスが彼を救うことはできません。救えるのはイエスだけです。それで,「主イエスを信じて頼りなさい。そうすれば救われます」と答えます。―使徒 16:25-31。, 14 (イ)パウロとシラスは牢番にどんな助けを与えましたか。(ロ)パウロとシラスは喜びをもって迫害に耐えることにより,どんな祝福を得ましたか。, 14 牢番の質問は心から出たものだったでしょうか。その誠実さをパウロは疑いません。牢番は異邦人で聖書に通じていなかったので,クリスチャンになる前に聖書の基本的な真理を学んで受け入れる必要があります。それで,パウロとシラスは時間を取って「エホバの言葉を彼に」語ります。聖書を教えることに没頭しているうちに,打たれた痛みを忘れてしまったかもしれません。けれども,牢番は二人の背中の深い傷に気づき,むち跡を洗います。そして,彼と家の者たちとは「すぐにバプテスマを受け」ました。パウロとシラスは,喜びをもって迫害に耐えることにより,なんという祝福を得たのでしょう。―使徒 16:32-34。, 15 (イ)今日,大勢の証人たちがパウロとシラスの手本にどのように従っていますか。(ロ)区域の人々の家を引き続き訪問すべきなのはなぜですか。, 15 今日,多くの証人たちがパウロとシラスのように,信仰ゆえに投獄されている間も良いたよりを宣べ伝えており,良い結果が生じています。例えば,わたしたちの活動が禁止されていたある国では,一時期,エホバの証人の40%は獄中でエホバについての真理を知った人々でした。(イザ 54:17)注目できる別の点として,牢番は地震が起きた後に初めて,助けを求めました。同様に,それまで王国の音信に全くこたえ応じなかった人が,つらい出来事によって自分の世界が突然揺り動かされた後で,こたえ応じるようになることがあります。わたしたちは区域の人々を忠実に訪問し続けることにより,いつでもすぐに助けを差し伸べることができます。, 16 むち打ちの日の翌朝,行政官たちはパウロとシラスの釈放を命じます。しかしパウロはこう言います。「彼らはローマ人であるわたしたちを,有罪の宣告もせずに公にむち打ち,しかも獄に入れました。それを今,ひそかに出そうというのですか。それはなりません! 彼らが自分で出向いて来て,わたしたちを連れ出すべきです」。行政官たちはその二人がローマ市民だと知って,「怖く」なります。二人の権利を侵害していたからです。* 形勢が逆転します。この弟子たちは公に打ちたたかれたので,今度は,行政官たちが公に謝罪しなければなりません。彼らはフィリピを去るよう二人に懇願します。二人はそれに応じますが,その前に時間を取って,数を増す新しい弟子たちを励まします。それから去って行きました。, 17 新しい弟子たちはパウロとシラスが忍耐する姿を見て,どんな重要な教訓を学びましたか。, 17 ローマ市民としての権利にもっと早く注意が向けられていれば,パウロとシラスはむち打たれずに済んだことでしょう。(使徒 22:25,26)しかしその場合,キリストのために苦しみを受けることを自分の立場を利用して免れた,という印象をフィリピの弟子たちに与えたかもしれません。そうなったなら,ローマ市民ではない弟子たちの信仰はどんな影響を受けるでしょうか。彼らは法律によってむち打ちから守られることはありません。ですから,パウロとシラスは処罰を耐え忍ぶことにより,キリストの追随者は迫害下でも堅く立てることを,新しい信者たちに手本で示したのです。さらに二人は市民権を認めるよう要求することにより,行政官たちが自分たちの不法な行為を公にせざるを得ないようにさせました。その結果,おそらく仲間の信者たちは行政官による虐待から守られ,将来に同様の攻撃を受けた時にも幾らかの法的保護を得られたかもしれません。, 18 (イ)現代のクリスチャンの監督たちはパウロの手本にどのように倣いますか。(ロ)今日,わたしたちはどのように「良いたよりを擁護して法的に確立」しますか。, 18 今日,クリスチャン会衆の監督たちも手本によって指導します。クリスチャンの牧者は,仲間の信者にしてほしいと思うことを何でも自ら進んで行ないます。また,わたしたちはパウロのように,保護を得るために法的な権利をいつどのように行使するかを注意深く考慮します。必要であれば,崇拝のための法的な保護を得るために,裁判所に,時には国際的な裁判所にも訴えます。その目的は,社会改革ではありません。むしろ,パウロがフィリピでの投獄から10年ほど後にその地の会衆に書き送ったとおり,「良いたよりを擁護して法的に確立すること」です。(フィリ 1:7)とはいえわたしたちは,そうした裁判がどんな結果になるとしても,パウロとその仲間のように,どこでも神の霊が導く所で「良いたよりを宣明」してゆくことを決意しています。―使徒 16:10。, フィリピの軍事的な性格ゆえに,ユダヤ人はその都市に会堂を持つことを禁じられていたのかもしれません。あるいは,この都市ではユダヤ人の男性が10人(会堂の設立に必要な最低人数)に満たなかったという可能性もあります。, ローマ法によれば,市民には常にきちんとした裁判を受ける権利があり,有罪宣告もせずに市民を公に処罰してはなりませんでした。, 「使徒たちの活動」は16章9節まで第三者の視点で出来事が記されています。つまり,他の人の言動を伝えるという形で書かれています。しかし,使徒 16章10,11節で書き方が変化します。例えば11節には,「わたしたちはトロアスから船出してサモトラケに直行し」たとあります。ここで筆者のルカが加わったのです。とはいえ,ルカの名前は「使徒たちの活動」のどこにも出ていないのに,どうして筆者だと分かるのでしょうか。, 「使徒たちの活動」とルカの福音書の冒頭部分から,その答えが得られます。両方とも「テオフィロ」という人物に宛てて書かれています。(ルカ 1:1,3。使徒 1:1,2)「使徒たちの活動」の出だしは次のとおりです。「テオフィロ様,わたしは最初の記述を,イエスが行ないかつ教え始められたすべての事柄についてまとめ……ました」。「最初の記述」すなわち福音書をルカが書いたことは古代の権威者たちによって認められているので,「使徒たちの活動」もルカが記したに違いありません。, ルカについての情報はそれほど多くなく,その名前は聖書に3回しか出てきません。使徒パウロはルカのことを,「愛する医者」また「わたしの同労者」と呼んでいます。(コロ 4:14。フィレ 24)ルカが自分を含めて「わたしたち」と述べている部分を調べると,ルカが西暦50年ごろ使徒パウロに初めて同行してトロアスからフィリピまで行ったこと,また,パウロがフィリピを離れた時点でルカは共にいなかったことが分かります。二人は,西暦56年ごろにフィリピで再会し,他の7人の兄弟と一緒にフィリピからエルサレムへ旅しました。パウロはそこで捕縛されます。2年後,ルカは,鎖につながれたままのパウロに同行してカエサレアからローマに行きました。(使徒 16:10-17,40; 20:5–21:17; 24:27; 27:1–28:16)パウロがローマでの二度目の投獄の際に,処刑が近いことを悟った時,共にいたのは「ルカだけ」でした。(テモ二 4:6,11)ですから,ルカは長い距離を旅し,良いたよりのために進んで困難に耐えたのです。, ルカは,イエスについて書いた事柄を自分が目撃したとは言っていません。むしろ,「目撃証人」の説明に基づいて「その叙述をまとめようと」したと述べています。そして,「すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどり」,「論理的な順序で書いて」います。(ルカ 1:1-3)ルカの労作を見ると,注意深い調査の跡がうかがえます。資料を集めるために,エリサベツや,イエスの母マリアなどからも話を聞いたかもしれません。ルカが書いた事柄の多くは,他の福音書にはない情報です。―ルカ 1:5-80。, パウロによればルカは医者であり,ルカの記述には,苦しむ人々への医者ならではの関心が表われています。例えばルカは,イエスが悪霊につかれた人を治した時に,「悪霊は……出て来たが,彼を傷つけてはいなかった」ことを述べています。また,使徒ペテロのしゅうとめが「高い熱」で苦しんでいたこと,イエスが助けたある女性は「十八年のあいだ虚弱の霊につかれ……体が折れ曲がり,身を起こすことが全くできなかった」ことも記しています。―ルカ 4:35,38; 13:11。, ルカは確かに,生活の中で「主の業」を第一にしました。(コリ一 15:58)世俗の仕事や目立った立場を追い求めることではなく,他の人がエホバを知ってその方に仕えるよう助けることを目標としたのです。, ルデアは,マケドニアの主要都市フィリピに住んでいました。出身は小アジア西部のリュディア地方の都市テアテラで,紫布の商売を営むためにエーゲ海を渡ってきました。敷物,タペストリー,布地,さらには染料など,紫の様々な品物を扱っていたようです。紫布を売る人たちの組合がフィリピにあったことが,その都市で見つかった碑文により裏づけられています。, ルデアは「神の崇拝者」と呼ばれていますが,これはユダヤ教への改宗者であったことを意味しているようです。(使徒 16:14)ルデアは,故郷の都市でエホバの崇拝について知ったのかもしれません。フィリピとは異なり,そこにはユダヤ人の集会場がありました。ルデアという名は,フィリピで彼女に付けられた「リュディアの女」という意味のあだ名である,と考える人もいます。しかし,その名が実名としても使われていたことを示す文書があります。, リュディア地方とその近隣の人たちは,西暦前9世紀か8世紀のホメロスの時代以来,紫の染色技術で有名でした。実際,テアテラの水を使うと「最も鮮やかであせにくい色」が生まれるという評判がありました。, 紫の品はぜいたく品であり,裕福な人しか手が届きませんでした。紫の染料はいろいろな物から採れましたが,地中海の貝を原料とするものが最も上質で高価であり,上等の亜麻布に使われました。1個の貝から採れる染料はごくわずかで,その貴重な液体を1㌘得るのに8,000個もの貝を処理しなければなりませんでした。ですから,この色の布はたいへん値が張りました。, ルデアの商売にはかなりの資金が必要だったことや,パウロ,シラス,テモテ,ルカの4人を泊められるだけの家を有していたことからすると,ルデアは商売の繁盛した裕福な人だったに違いありません。「家の者たち」のことが出てくるので,親族と一緒に住んでいた可能性もありますが,奴隷や僕がいたのかもしれません。(使徒 16:15)その都市を去る前にパウロとシラスがルデアの家で兄弟たちと会ったことからすると,もてなしの精神に富むこの女性の家はフィリピの最初のクリスチャンたちの集会場所になっていたと思われます。―使徒 16:40。, パウロは,10年ほど後に書いたフィリピ会衆への手紙の中でルデアのことを何も述べていません。ですから彼女について分かるのは,使徒 16章に記されている事柄だけです。.

利用規約 文脈を重視する 3. マケドニア王国・ 古代マケドニア人 (ギリシア語版、マケドニア語版、ブルガリア語版、英語版) 古代、アレクサンドロス大王を出した、ギリシャ人の多く住んでいた故地で、大まかに . 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2.

*「私たち」という言葉で、マケドニア人であることが分かった。 *これはルカだと考える学者もいるが、単なる推測である。 ③マケドニアは、ギリシアの北部、トロアスから真西に位置する地域である。 あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?, これらのメッセージは、恵比寿と大阪で定期的に行っている集会で収録されています。どなたでもお気軽にお越し下さい。, 中川牧師の書斎から#029「米大統領選の行方」-大統領候補テレビ討論会の勝者は誰か-, ハーベスト・タイムの働きは、サポーターの皆様のお祈りと、献金により維持されております。ぜひ、応援をよろしくお願いいたします。, 私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。

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