HiraTenロゴ

MENU

Twitter ミュートとは


第五戦隊および長波と五月雨は北方部隊(第五艦隊基幹)に編入され[174]、アリューシャン列島への進出を命じられる[175]。5月15日、4隻(妙高、羽黒、長波、五月雨)は横須賀を出発、19日幌筵に到着した[176]。北方部隊はアッツ島救援のため駆逐艦神風と野風をアッツ島に突入擱座させて補給を行う計画を立てていたが[177][178]、実施されなかった[179]。5月29日、アッツ島守備隊は玉砕した[180]。 1944年(昭和19年)1月15日、今度は軽巡洋艦長良に曳航されてトラックを出港した[21][225]。護衛には駆逐艦卯月と夕凪がついた[226]。米軍潜水艦が跳梁する中での曳航のため生還は難しいとみられ、長良乗組員は病院船氷川丸に預けていた長良戦死者の遺骨を引き取り[注 20]、艦内に安置して航海に臨んだ[228]。長波回航隊は4隻とも内地へ帰投できた[229]。1月24日、内海西部着[230][注 21]。長波は呉海軍工廠で本格的修理に入った[231]。, 第31駆逐隊の所属艦は、前年7月に清波が夜間空襲により撃沈され[22]、前年11月下旬のセント・ジョージ岬沖海戦で大波と巻波が沈没[232]、可動艦は長波1隻になっていた[233][27]。 9月4日まで修理を行った[198]。翌日、長波は舞鶴を出撃した[199]。, 修理後の9月15日、長波と島風は重巡洋艦鳥海と摩耶を護衛して横須賀を出撃し、トラックを経由してラバウルに向かう[200]。9月20日にトラック泊地着後、各艦に分乗していた防空隊は摩耶と長波に移乗した[15]。摩耶と長波はラバウルに移動してブカ島配備予定の防空隊を揚陸し、トラック泊地にもどった[15]。任務終了後はトラックで待機し、10月17日からはマーシャル諸島方面に出撃する第三艦隊(司令長官小沢治三郎中将・海兵37期)と第二艦隊(司令長官栗田健男中将)の護衛に就いた[201]。, 10月28日、連合艦隊はろ号作戦を発動する[202]。この作戦において、第一航空戦隊の飛行機隊を南東方面の陸上基地に配備することにした[203]。第十戦隊大杉守一少将を指揮官とする輸送部隊(第一部隊〈阿賀野、初風、若月、長波〉、第二部隊〈大波、風雲〉、第三部隊〈天津風〉、修理後投入〈巻波〉)は、それぞれ一航戦の基地員と物件をラバウルやカビエンに輸送した[204][205]。 5月8日、軍艦5隻(戦艦〈大和〉、空母〈雲鷹、冲鷹〉、第五戦隊〈妙高、羽黒〉)は駆逐艦部隊(長波、潮、夕暮、五月雨)に護衛されてトラックを出港し、それぞれ内地に帰投した[169][170]。5月13日、長波と五月雨は第五戦隊および空母と共に横須賀へ帰投した[171][172]。, 横須賀到着の前日、連合軍はアッツ島に上陸を開始、アッツ島の戦いが始まった[173]。 飛田(長波艦長)は生き残った乗員数十名を引き連れて、いまだ浮いていた浜波に乗り移った[296]。飛田艦長は乗員を各部署に配置させて機関の再始動にも成功したが、マニラ帰投に必要な缶用の真水が欠乏していたので浜波を陸上砲台にしようと決心した[297]。しかし、潮流に流されて擱座に失敗し、浜波に残っていた糧食で夕食をとった後就寝[298]。翌12日、飛田艦長以下の長波の乗員は浜波を離れ、陸上から迎えに来た大発に移ってレイテ島に上陸した[298]。浜波の船体がその後どうなったのかは定かではないが、飛田艦長は生還して、戦後海上自衛隊に入隊した[299]。長波乗組員43名が海軍陸戦隊に編入され[300]、マニラ市街戦やフィリピン地上戦に投入された。, 11月15日、朝霜は第2駆逐隊へ転出、沈没していた夕雲型駆逐艦浜波(11月11日、第三次多号作戦)[301]が第31駆逐隊に編入された[302][303]。 11月13日1530、輸送船団は再びショートランド泊地を出撃した[94]。

4月25日、第十四戦隊の軽巡洋艦那珂[166]と駆逐艦3隻(長波、時雨、有明)は[167]、空母雲鷹と冲鷹を護衛してトラックに向かう[168][169]。4月30日、艦隊はトラック泊地に到着した[169]。
各艦は煙幕を展開し[289]、また陸軍戦闘機疾風約30機が出動したが、輸送船団を守り切れなかった[290][291]。つづいて米軍機は護衛部隊に襲い掛かる[292]。第32駆逐隊司令(大島一太郎大佐)の回想によれば、護衛部隊は浜波・若月・島風・長波・掃海艇30号・朝霜の単縦陣であったという[292]。


7月中旬、第31駆逐隊(長波、岸波、沖波、朝霜)は戦艦や重巡洋艦を護衛してリンガ泊地に進出した[28]。 関連記 … 南西方面部隊指揮官(大川内長官)は8日2059NSB電令作第738号により、駆逐艦4隻(朝霜、長波、秋霜、若月)の第三次輸送部隊編入を、駆逐艦2隻(初春、竹)の第四次輸送部隊編入を命じていた[279]。大川内長官の命令により、損傷した秋霜以外の3隻(長波、朝霜、若月)は第四次輸送部隊から分離、第三次輸送部隊に合流する[280](代わりに初春と竹が第四次輸送部隊に合流)[281]。11月10日夕刻、長波と朝霜は霞に被害艦生存者を移し、第三次輸送部隊を追いかける[282]。第四次輸送部隊から離脱後、3隻は21時にマスバテ島東方のブラックロック水道で第三次輸送部隊に合流した[282][283]。, 第三次輸送部隊は護衛部隊(島風、浜波、若月、長波、朝霜、掃海艇30号)と輸送船4隻[注 27]となり、魚雷艇を撃退して進撃した[285][286]。11月11日の正午ごろにオルモック湾に到着する予定であったが、その直前に第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機347機[287]による空襲を受けた[288]。 → 長波(艦隊これくしょん)を参照。, 50口径12.7cm連装砲塔×3基 25mm連装機銃×2基 61cm四連装魚雷発射管×2基 両舷用爆雷投射機×1基 手動式爆雷投下台×4基 水圧式爆雷投下台×2基, 11月14日、輸送船団はヘンダーソン飛行場からの米軍機に8度にわたる空襲を受け、輸送船11隻中6隻が沈没、佐渡丸が, 11月15日、残存の輸送船4隻をタサファロングの浜辺に擱座させ、ショートランドに帰投, 3月8日、トラック泊地から南海丸を護衛して瀬戸内海へ向かう。到着後、舞鶴に回航され修理, 8月3日、第二水雷戦隊に復帰。日本丸を護衛して舞鶴へ向かう。舞鶴へ帰投後、9月4日まで修理, 11月11日、第二次ラバウル空襲。港外に脱出するが米空母艦載機の爆撃を受けて航行不能となる, 11月10日、オルモック湾からマニラに向かう途中、米陸軍機の攻撃を受け、高津丸、香椎丸が沈没。, 11月11日、米空母艦載機から空襲を受け沈没。第3次輸送部隊は朝霜を除いて全滅した。長波乗組員数十名が、放棄され漂流していた. 11月6日から10日にかけては第十戦隊とともにトロキナへの逆上陸作戦に従事した[214][215]。長波の兵力部署は、支援部隊麾下の第二支援部隊(指揮官高間完第二水雷戦隊司令官、旗艦〈能代〉、早波[注 18]、長波[注 19])であった[216]。, この頃、11月5日の空襲に満足したハルゼー大将は、更なる戦果拡大を狙って太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将に新手の空母任務部隊の派遣を要請[217]。ニミッツ大将はギルバート諸島方面の戦況をにらみつつ、第50.3任務部隊(アルフレッド・E・モントゴメリー少将)を派遣することに決した[217]。11月11日早朝、第38任務部隊(フレデリック・シャーマン少将)はブーゲンビル島北方から、第50.3任務部隊は同島南方から挟み撃ちの格好で艦載機を発進させた[217][210]。これに対し、ラバウルから発進した偵察機は第50.3任務部隊を発見する[217][218]。これに伴い、ラバウル在泊の第二水雷戦隊と第十戦隊は折からのスコールにまぎれて港外に脱出しつつあった[219]。7時15分、急降下爆撃機十数機の攻撃を受けて後甲板に被弾し、操舵不能になったうえ爆圧でスクリューが脱落して航行不能となった[220]。数分後には、姉妹艦涼波(第32駆逐隊)が魚雷と爆弾命中により轟沈した[221]。, 第二水雷戦隊と第十戦隊の大部分はトラック泊地に撤収したが、第31駆逐隊(大波、長波、巻波)はラバウルに残った[222]。長波は仮修理を受け、本格的な修理のため曳航されて後送される事になった。12月3日、軽巡洋艦夕張と駆逐艦文月の護衛下、駆逐艦水無月に曳航されてラバウルを出港する[223][224]。5日までは駆逐艦天霧も護衛に協力、計三回連合軍機と遭遇したが被害を受けることはなかった[223]。8日、長波曳航部隊はトラックに入港した[223]。

啄木鳥探偵處 3話 ネタバレ, 神のみぞ知るセカイ 声優, 田中邦衛 自宅, エヴァンゲリオン 14巻 発売日, インターンシップ いつから, 専門家 英語, ダーウィン 地名, 冨岡義勇 手紙 内容, スマブラ 新ファイター, 伊藤くん AtoE 聡子, Bs4k 映らなくなった, エヴァ 序 どこまで, わかりやすい人 英語, 葛山信吾 姉, Twitter 一部の設定を保存できません, 声優の無駄遣い ポプテピピック, エヴァンゲリオン DEATH2, 樫の木 花, 桜田通 スカウト, 快諾 承諾, 幽閉 語源, 質問に答えてくれてありがとう ビジネス 英語, 歴代仮面ライダー 俳優 人気, クレヨンしんちゃん 映画 落書き, 半分青い 子役 かんちゃん, ケイン コスギ ハーフ, エヴァ 所属チーム モンスト,